印象に残る為替相場の大変動:総論・・大変動の背景
2024/08/07 07:34
M2TVのYouTube「チャンネル登録者3万人突破!」キャンペーンで、「今までで一番印象に残っている為替相場の大変動はいつですか」との質問をいただきました。足もとでも約1カ月の間に20円近い「円高(米ドル/円の下落)」を目撃しており、「大変動」と言えなくはないでしょう。わたし的には98年のロシア・LTCM危機における円の急騰が一番かなと思っていますが、以下では為替相場の大変動が起きる背景について考察します。
為替相場の大変動が起こるのは、主に二つのケースではないでしょうか。1つめは、管理相場制が維持できなくなり、通貨が急落するケースです。2つめは、制度あるいは政策的な変化によって為替相場の水準が大きく変化するケースです。
管理相場制の放棄による通貨の急落
新興国の中には、円滑な貿易や安定的な資金流入、インフレの抑制などを目的として、自国通貨を米ドルなどの主要通貨に固定する、あるいは変動を小さく限定する制度を採用するところがあります。それらを固定相場制やペッグ制と呼び、当局が為替相場をコントロールしようとする管理相場制ともいえます。
管理相場制を維持するためには、必要に応じて外貨を売って自国通貨を買う為替介入を行う必要があります。そして、多くのケースで為替介入に必要な外貨準備が底をつくなどして、管理相場が放棄されて、その国の通貨が急落します。そうした例は枚挙に暇がありません。
94年12月のメキシコペソの暴落、いわゆる「テキーラ・ショック」、97年7月のタイバーツの下落に端を発したアジア通貨危機、99年1月のブラジルレアルの暴落、02年1月のアルゼンチンペソの暴落(米ドル化の終了)などが挙げられます。メキシコやブラジルは。自国通貨を米ドルとリンクして緩やかに減価させる、クローリングペッグを採用していました。アジア諸国の多くも自国通貨を米ドルに緩くリンクしていました。いずれも、上昇する米ドルにつられる形で相場が上昇して、対外競争力を失ったことが暴落につながりました。
EU(欧州連合)は単一通貨ユーロを導入する前は、安定的な貿易などの経済的理由から各国通貨の相場変動を一定の範囲に収めるERM(為替相場メカニズム)というシステムを採用していました。92年9月にはファンダメンタルズからのかい離を理由にヘッジファンドに売り込まれて英ポンドがERMからの離脱を余儀なくされました。
98年のロシア・LTCM危機は、膨れあがった円キャリートレードの急激な巻き戻しによって円が対米ドルで急騰した事象が有名です。ただ、きっかけとなったロシアのデフォルトは、アジア通貨危機などの影響もあり、米ドルにリンクしたルーブルがロシアの実力以上に高くなったことが原因でした。
近年では管理相場は少なくなりましたが、15年1月には従来と違った形で管理相場が破たんしました。「スイスフラン・ショック」です。スイス国立銀行(中銀)は輸出企業の保護などのために12年からフランの対ユーロ相場に上限を設定していました。スイス国立銀行が上限撤廃を発表するとスイスフランが急騰、大手FX会社の破たんにつながりました。
制度的・政策的な変化による為替相場の大変動
為替相場が織り込んだ、あるいは前提とした制度や政策(の見通し)に大きな変化が生じて為替相場の水準が大きく変わるケースもあります。
典型的な例が、16年6月の英国の国民投票によって英国のEU(欧州連合)からの離脱、いわゆるブレグジットが決まったケースでしょう。国民投票でブレグジットは否決されると広く予想されていたため、英ポンドは大きく下落しました。ブレグジットによって英国はEU内におけるメリットを失うと瞬時に判断されたためです。
同じ英国では、22年9月に「トラス・ショック」が起きました。ジョンソン首相の後を継いだトラス首相が財源の不透明な大規模減税を提唱したことで、株、債券、通貨が大幅に下落しました。経済政策の変化(の予想)が為替相場を大きく動かした事例です。16年秋に起こった「トランプ・ラリー」も経済政策の変化を予想した為替相場水準のシフトと定義することができるかもしれません。
為替相場の大変動が起こるのは、主に二つのケースではないでしょうか。1つめは、管理相場制が維持できなくなり、通貨が急落するケースです。2つめは、制度あるいは政策的な変化によって為替相場の水準が大きく変化するケースです。
管理相場制の放棄による通貨の急落
新興国の中には、円滑な貿易や安定的な資金流入、インフレの抑制などを目的として、自国通貨を米ドルなどの主要通貨に固定する、あるいは変動を小さく限定する制度を採用するところがあります。それらを固定相場制やペッグ制と呼び、当局が為替相場をコントロールしようとする管理相場制ともいえます。
管理相場制を維持するためには、必要に応じて外貨を売って自国通貨を買う為替介入を行う必要があります。そして、多くのケースで為替介入に必要な外貨準備が底をつくなどして、管理相場が放棄されて、その国の通貨が急落します。そうした例は枚挙に暇がありません。
94年12月のメキシコペソの暴落、いわゆる「テキーラ・ショック」、97年7月のタイバーツの下落に端を発したアジア通貨危機、99年1月のブラジルレアルの暴落、02年1月のアルゼンチンペソの暴落(米ドル化の終了)などが挙げられます。メキシコやブラジルは。自国通貨を米ドルとリンクして緩やかに減価させる、クローリングペッグを採用していました。アジア諸国の多くも自国通貨を米ドルに緩くリンクしていました。いずれも、上昇する米ドルにつられる形で相場が上昇して、対外競争力を失ったことが暴落につながりました。
EU(欧州連合)は単一通貨ユーロを導入する前は、安定的な貿易などの経済的理由から各国通貨の相場変動を一定の範囲に収めるERM(為替相場メカニズム)というシステムを採用していました。92年9月にはファンダメンタルズからのかい離を理由にヘッジファンドに売り込まれて英ポンドがERMからの離脱を余儀なくされました。
98年のロシア・LTCM危機は、膨れあがった円キャリートレードの急激な巻き戻しによって円が対米ドルで急騰した事象が有名です。ただ、きっかけとなったロシアのデフォルトは、アジア通貨危機などの影響もあり、米ドルにリンクしたルーブルがロシアの実力以上に高くなったことが原因でした。
近年では管理相場は少なくなりましたが、15年1月には従来と違った形で管理相場が破たんしました。「スイスフラン・ショック」です。スイス国立銀行(中銀)は輸出企業の保護などのために12年からフランの対ユーロ相場に上限を設定していました。スイス国立銀行が上限撤廃を発表するとスイスフランが急騰、大手FX会社の破たんにつながりました。
制度的・政策的な変化による為替相場の大変動
為替相場が織り込んだ、あるいは前提とした制度や政策(の見通し)に大きな変化が生じて為替相場の水準が大きく変わるケースもあります。
典型的な例が、16年6月の英国の国民投票によって英国のEU(欧州連合)からの離脱、いわゆるブレグジットが決まったケースでしょう。国民投票でブレグジットは否決されると広く予想されていたため、英ポンドは大きく下落しました。ブレグジットによって英国はEU内におけるメリットを失うと瞬時に判断されたためです。
同じ英国では、22年9月に「トラス・ショック」が起きました。ジョンソン首相の後を継いだトラス首相が財源の不透明な大規模減税を提唱したことで、株、債券、通貨が大幅に下落しました。経済政策の変化(の予想)が為替相場を大きく動かした事例です。16年秋に起こった「トランプ・ラリー」も経済政策の変化を予想した為替相場水準のシフトと定義することができるかもしれません。
- 当レポートは、情報提供を目的としたものであり、特定の商品の推奨あるいは特定の取引の勧誘を目的としたものではありません。
- 当レポートに記載する相場見通しや売買戦略は、ファンダメンタルズ分析やテクニカル分析などを用いた執筆者個人の判断に基づくものであり、予告なく変更になる場合があります。また、相場の行方を保証するものではありません。お取引はご自身で判断いただきますようお願いいたします。
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