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騙されない投資家19~日本株式相場の歴史

2024/02/21 07:19

投資の初心者が知っておくべきこと、勘違いしやすいことを、できるだけ平易に解説しようと思います。過去の相場を知ることは投資判断に役立つはずです。今回は日本株を取り上げます。過去レポートは#騙されない投資家で表示されるので、ぜひご活用ください。

今年に入って日本株が好調です。日経平均株価(以下、日経平均)の2月16日の高値は3万8,865円でした。これは、平成バブル崩壊前につけた89年12月29日(大納会)の最高値3万8,957円まで100円足らずまで迫っています。

■13日付け「騙されない投資家18~米国株式相場の歴史」もご参照ください。

高度経済成長期の株高
平成株バブル崩壊までの日本株は、当時の日本経済と同様に基本的に右肩上がりでした。第二次世界大戦後の経済復興は50年代前半の朝鮮戦争の特需に後押しされ、50年代後半以降の高度経済成長へと発展しました。

53年のスターリンショック、65年の山一証券への日銀特融につながった証券不況なども経験しました。しかし、高度経済成長期とされる55-73年に、年率約16%の高い名目GDP成長率に裏付けられて、日経平均は年率14%の上昇を達成しました。

2度のオイルショックと円高
日本の高度経済成長は、73年と78年に起きた2度のオイルショックによって終焉を迎えました。また、71年のニクソンショックや73年の変動相場制移行を経験し、85年プラザ合意以降には急激な円高にも見舞われました。それでも、日本の企業が省エネや円高対策などの努力を重ねたことが、日本経済及び株価を支えたのかもしれません。

日本株バブルの醸成
80年代後半の日本株バブルを醸成したのは、日米貿易摩擦によって米国から半ば押し付けられた日本の内需拡大策であり、積極的な財政政策や低金利政策でした。それらによって、不動産価格の高騰を伴って、株価も高騰を続けたのです。

73年から89年までの16年間に名目GDP成長率は年率7%と、高度経済成長期の半分のペースに落ちました。それでも、同期間に日経平均は年13%と高い伸びを維持しました。とりわけ、85-89年の4年間に日経平均は年率30%も上昇したのでした。

日本株バブルの崩壊
日本株バブル崩壊のキッカケは日銀の利上げでした。日銀は89年6月にそれまで2年以上にわたって2.5%に据え置いてきた、当時としては非常に低い公定歩合の引き上げを開始。同年12月に就任した三重野日銀総裁は、「乾いた薪の上に座っている」との表現でインフレを強く警戒して利上げを続け、90年8月に公定歩合を6.0%に引き上げました。もっとも、アグレッシブな利上げがなくても、経済成長率を大きく上回る株価の上昇は、いずれにせよ持続不可能だったかもしれません。

そして、土地価格の高騰に歯止めをかける目的で、90年3月に大蔵省(当時)が金融機関に対して出した不動産融資の総量規制が、バブル崩壊のトドメを刺しました。

「失われた20年」とデフレ
90年以降、株・土地バブルの崩壊を受け、日本経済は低迷を続けました。97年には北海道拓殖銀行や山一証券などが破たん。98年には金融危機が一段と深刻となり、日本長期信用銀行や日本債券信用銀行が破たんしました。そして、2000年ごろからはデフレ(デフレーション、物価の下落)が定着、デフレによる経済活動の低下がさらにデフレを悪化させる「負のスパイラル」から抜け出せなくなりました。2008年にはリーマンショックが発生して世界経済が危機的状況となり、その後の円高が日本経済に追い打ちをかけました。

89年末の終値が3万8,915円だった日経平均は、10年後の99年末に1万8,934円と半分になり、その10年後の2009年末には1万546円とさらにほぼ半分になりました。2000年代前半には米国のIT株バブル崩壊の影響を受け、その後は米国の住宅ブームで株価上昇の局面はあったものの、リーマンショックを受けて株価が大きく下落したためです。まさに「失われた20年」だったわけです。バブル崩壊後の日経平均の最安値は2008年10月28日の6,994円でした。

アベノミクスの登場
日経平均が底打ちから上昇基調に転じるには、2012年12月の第二次安倍政権の誕生を待たねばなりませんでした。

安倍首相のもとで、大胆な金融政策・機動的な財政政策・民間投資を喚起する成長戦略の「3本の矢」からなるアベノミクスが導入されました。とりわけ、2013年4月4日、就任したばかりの黒田総裁の主導で、日銀は「バズーカ」や「異次元緩和」と呼ばれた「量的・質的金融緩和」に踏み切りました。これにより、超円高・デフレが是正され、株価の上昇をもたらしました。

米株に後れを取った日本株
08年のリーマンショック以降、15年のチャイナショックや20年春のコロナショックなどもありましたが、株価は世界的に好調でした。米FRBを始めとした主要中央銀行が基本的に緩和的な金融政策を維持したからです。利上げ局面はありましたが、景気がオーバーキルされることはなく、株価も足踏みはあったものの、上記のショック場面を除けば、株価は比較的堅調だったと言えるでしょう。

その間、日本株も比較的堅調でした。ただ、アベノミクスと円安を囃した2013-15年夏の期間を例外として、日本株のパフォーマンスは米国株のそれを下回っていました。日本株が自律的に上昇したというよりも、米国株の好調にけん引されたからでしょう。

日本株が米国株をアウトパフォーム
ただ、22年以降、日本株は米国株をアウトパフォームしています。日銀がマイナス金利解除に向けた地ならしを行いつつも、緩和的な金融環境は変わらないとのメッセージを発信していること、新NISAの導入によって株式投資を始める投資家が増えたこと、そして米ドルベースでみた日本株の出遅れ感が強かったことが背景にあると考えられます。

日米相対株価
西田明弘

執筆者プロフィール

西田明弘(ニシダアキヒロ)

チーフエコノミスト

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