議会証言、パウエル議長は「ボルカー」になれるか

2022/06/23 09:23

ファンダメ・ポイント

※本日08:21配信分に図(2枚)を追加しました。

【ポイント】

・インフレ抑制に強いコミットを表明
・軟着陸は難しく、景気後退の可能性を認識
・80年代ボルカー議長同様に強い姿勢で臨めるか
・当時は結果的に高金利で米ドル高

22日、パウエル米FRB議長は上院銀行委員会で半期に一度の議会証言を行い、金融政策について説明しました。

議長は証言冒頭で、「高インフレがもたらす困難を理解している」と述べ、「インフレの抑制に強くコミットし、迅速に行動する」と明言しました。15日のFOMC後の記者会見と同じく強いタカ派的発言でした。

議長は景気について、設備投資や住宅投資に弱さがみられるとしつつ、雇用は非常に強く個人消費は堅調だとの見解を示しました。ただ、「(目標である)ソフトランディング(軟着陸)は非常に難しい」と述べ、また現時点で高まっているわけではないものの、「確かにリセッション(景気後退)の可能性はある」と認めました。

FRBはパウエル議長のもと、景気を犠牲にしてでもインフレを抑制する強い姿勢を維持できるか注目されます。

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ここで想起されるのは、79年8月に高インフレ下で就任したボルカー議長です。

ボルカー議長は就任早々、インフレ抑制のために金融政策の操作目標を政策金利から通貨供給量(マネーサプライ)に変更し、(結果として)政策金利の大幅な上昇を容認しました。政策金利(FFレート)は就任前の10%前後からピークの81年7月には22%を超えました。

結果的に、70年代の2度のオイルショックを経験して高騰していたインフレは沈静化されました。CPI(消費者物価指数)は80年3月のピークの前年比14.8%から83年7月には2.5%まで低下したのです。

米政策金利とインフレ率

もっとも、ボルカーFRBが高インフレと戦っている間に、2度のリセッション(80年1-7月、81年7月-82年11月)を経験。失業率は79年5月の5.6%から82年11月には10.8%まで上昇しました。

87年8月の退任後、ボルカー議長は「インフレ・ファイター」として賞賛されてきました。しかし、インフレと戦っているさなかは、一般市民や議会から強く批判され続けました(レーガン政権は擁護しました※)。債務の増大に耐えきれなくなった農民がトラクターでワシントンにデモを行い、FRB本部を包囲したこともあったようです。

※レーガン大統領は83年8月にボルカー議長を再任しました。インフレ鎮静化の功績を称えたことに加えて、経常赤字と財政赤字をファイナンスするために高金利が必要だったという事情もあるのでしょう。

なお、当時の米ドル実効レートをみると、80年4月にピークアウトして7月にボトムをつけた後は81年8月までほぼ一貫して上昇。その後も基本的に高金利下で米ドルは上昇を続け、85年9月のプラザ合意(G5が米ドル高是正で合意)につながります。

米ドル実効レート

執筆者プロフィール
西田 明弘(にしだ あきひろ)
チーフエコノミスト
日興リサーチセンター、米ブルッキングス研究所、三菱UFJモルガンスタンレー証券などを経て、2012年マネースクウェア・ジャパン(現マネースクエア)入社。
米国を中心とした各国のマクロ経済・金融政策・政治動向の分析に携わる。
「アナリスト、ストラテジスト、エコノミスト、研究員と呼び名は変われども、30年以上一貫してリサーチ業務を行ってきました。長い経験を通じて学んだことは、金融市場では何が起きても不思議ではないということ。その経験を少しでも皆さんと共有したいと思います。


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