今月の特集

2018年05月日米貿易摩擦の歴史

トランプ政権が通商交渉で攻勢に出ている。トランプ政権は現在、米国の貿易赤字の半分近くを占める中国との通商交渉に優先的に取り組んでいるようだ。関税賦課や対米黒字削減要求などで中国に圧力を加えている。また、カナダやメキシコとはNAFTA(北米自由貿易)の再交渉が佳境を迎えている。

ただし、昨年の就任早々にTPP交渉からの離脱を決めたトランプ大統領は、日米首脳会談などで二国間のFTA(自由貿易協定)重視の姿勢を鮮明にしている。いずれ日本に対しても強硬な要求を突き付けてくる可能性が高い。以下、日米貿易摩擦を振り返っておきたい。

 

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日米貿易摩擦は、日本から米国への輸出の総額ないし特定品目の金額/数量が相対的に大きく、逆に米国から日本への輸出の総額ないし特定品目の金額/数量が小さいことから発生した。基本的に、米国が不満を持ち、日本に改善を要求するという構図だった(後述する日米構造協議は米側にも原因を求め、それらの改善を目指すという意味で画期的ではあった)。

 

72年の日米繊維協定

近年では、60年代後半に日本の繊維輸出が問題となり、72年(自民党佐藤/共和党ニクソン、当時の日米政権、以下同じ)に日米繊維協定が締結された。77年(自民党福田/民主党カーター)には鉄鋼・カラーTVで日本が対米輸出自主規制を導入した。80年代(主に自民党中曽根/共和党レーガン)に入ると、自動車や農産物(米、牛肉、オレンジ)の日本の輸入が問題とされた。

プラザ合意

レーガン政権下での急激なドル高に対して、85年9月には日米を含む主要先進国によるプラザ合意があり、ドル安誘導が行われた。86年には日本の内需拡大や市場開放を提言した前川レポートが発表されている(同レポートは後のバブル経済へとつながる)。日米半導体協定の締結もこの年だった。

ドル安円高の進行や日本の各業界の努力にもかかわらず、日米貿易不均衡はほとんど修正されなかった(当時、ドル安になっても米国の貿易赤字が減らず、為替レートの変動が貿易収支に影響するまでタイムラグがあるために発生する「Jカーブ効果」という言葉が流行した)。

米スーパー301条

そうした事態に苛立ちを隠せなかった米国は、88年(自民党竹下/共和党レーガン)に包括通商競争力法を制定。その中で74年通商法の対外制裁に関する条項を強化したスーパー301条を導入し、一方的な制裁の発動を可能とした。日本でも衛星やスパコンなどいくつかが特定されたが、日米間で合意が成立して制裁発動は回避された。換言すれば、発動回避のために合意を強制するだけ効力があったと言える。

日米構造協議のスタート

さらに、対外収支の不均衡は貯蓄と投資のバランスを含めた経済構造に原因があるとして、89年(自民党海部/共和党ブッシュ父)に日米構造協議がスタートした。そこでは、日米の貯蓄・投資パターン(日本の貯蓄過剰、米国の投資過剰)のほか、日本の流通や商慣行、米国の企業行動や労働訓練などが俎上に上った。

ジャパン・バッシング

この頃が、日米貿易摩擦が最も激しかった時期だろう。79年に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」が日本の経済的成功を米国への教訓としたのに対して、この頃は日本を経済的な「敵」とみなして、ジャパン・バッシング(日本叩き)という言葉が流行り、「Containing Japan(日本封じ込め)」や「The Coming War With Japan(日本との戦争は不可避だ)」といった危ないタイトルの雑誌記事や書籍も目に付くようになった。

95年の超円高

90年代に入っても、日米貿易摩擦は続いた。日本の経済力は米国にとって引き続き脅威と映っていたのだろう。象徴的な出来事が95年春に起こった。94年後半に100円前後で推移していたドル円が95年に入って急落、4月19日には一時80円割れを示現した。当時としては「超円高」だった。

当時、ある新聞記者が「GDPで日本が米国を追い抜きそうだ」と興奮して連絡してきたことがあった。94年の日本の名目GDPは471兆円、米国のそれは7.085兆ドルだった(現行統計)。単純に割り算すれば、1ドル=66円以上の円高になっていれば、ドルベースのGDPで日本が米国を抜くところだった。当の記者は計算方法を間違えて、あと少しで日本が世界一になると勘違いしていたのだが、それだけ日本側にも驕(おご)りがあったということだろう(*)。

(*)なお、2016年7-9月期までの1年間の日本の名目GDPは546兆円、米国のそれは19.4兆ドルだ。計算上、日本が米国を追い抜くためには、1ドル=28円程度の円高になる必要がある。「失われた20年」の間に、彼我にそれだけの差がついた。

日米貿易摩擦の終焉?

89年に始まった日米構造協議は90年にほぼ決着した。そして、93年(自民党宮沢/民主党クリントン)には、それを発展させた形で日米包括経済協議がスタートし、新たに知的所有権、政府調達、自動車、保険、金融サービスなどの分野が協議された。

日米包括経済協議は96年末までに全ての分野で決着した。この頃から日米貿易摩擦は急速に下火になっていった。95年に就任したルービン財務長官は、「強いドルは国益」との発言を繰り返し、それまでの米政権による円高圧力から180度転換してみせた。

GATTのウルグアイ・ラウンドが妥結して95年にWTO(世界貿易機関)が設立され、国際的な通商ルールを協議する正式な場ができたことも影響したかもしれない。

日本経済の凋落

ただ、日米貿易摩擦が弱まった最大の原因は、日本経済が凋落し、その一方で米国経済が活力を取り戻したことではないか。バブル崩壊の後遺症に苦しむ日本経済は、97年の山一証券破たん、98年の金融危機などを経験した。

そして、米国経済はIT革命によって劇的な回復を遂げたのだった。もはや、日本は米国の脅威とはみなされず、「ジャパン・バッシング(日本叩き)」に代わって、「ジャパン・パッシング(日本素通り)」や「ジャパン・ナッシング(日本は何でもない)」といった言葉も聞かれた時代だ。

その後、2001年(自民党小泉/共和党ブッシュ)に「成長のための日米経済パートナーシップ」、2012年(民主党野田/民主党オバマ)に「日米共同声明:未来に向けた共通のビジョン」などが発表されたが、それらはいずれも両国の協調を探るものであった。

日米貿易摩擦の再燃は回避できるか

以上みてきたように、90年代半ばまで日米貿易の歴史は、摩擦の歴史でもあった。日米貿易摩擦の再燃が避けられるとすれば、それはトランプ大統領が「強い米国を取り戻した」と実感した時か、あるいは米国で政権交代があった場合に限られるのかもしれない。

 

(チーフエコノミスト 西田明弘)

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